うやむや

北尾石材

075-781-9523

〒606-8225 京都府京都市左京区田中門前町67

営業時間 / 9:00~18:00

ページタイトル画像

うやむや

石屋のないしょ話

2021/05/30 うやむや

 

 

山形と宮城の県境に、かつて「うやむやの関」という古関があったそうです。またの名を「むやむやの関」や「もやもやの関」ともいったそうです。

明治時代の人たちは、胸がもやもやしているさまを「うやむや」と言い表したのだそうです。だが今では「うやむやになったまま」とか、「うやむやにされてしまった」など、はっきりすることを望んでいるにもかかわらず、曖昧なままで、どちらかといえば歓迎されない状態です。

 

「うやむや」は漢字で書けば「有耶無耶」、仏教からきた言葉です。仏教百科によると「仏教では、物事を二つの対立する考え方に分けて、いずれか一方を正しいと決めることはしなかった。」

これを最もよく表しているのが「~は有りや無しや」と問いかける、いわゆる禅問答です。京の禅寺の修行者たちはこう問いかけられて「有る」と答えると間違い。ですが「無い」と答えてもまた間違い。「有るけれども無い」とか「有るのでも無いのでもない」といった、俗人にはわかったような、わからないような、これが禅問答であって、すなわち「有耶無耶」の世界。

 

一つの神を唯一神とするキリスト教やイスラム教では考えられない世界で、これが欧米の人々が東洋のZENに注目する理由なのかもしれません。そしてお釈迦さまはこの「有耶無耶」の世界を最終的には越えて、絶対的な安らぎの世界に入ったのだそうです。

ここで思い出されるのが「NOといえない日本人」。あれは「有耶無耶」の世界に生きるゆえだろうか。そんな哲学的な問題でもない気がするが、しかしあながち否定はできない。白か黒か、イエスかノーか、答えは常に二つに一つ、正義は必ず勝つのだといった一元論を、私たち日本人はそうやすやすと信用していないようにも思えます。

 

では、口では「へぇ、おおきに」と言いながら、心の中では「ノー」と言ってる京都人はどうでしょう。あれは言葉は「うやむや」ですが、心の中は「うやむや」ではありません。はっきりしているので、せめて言葉だけでも「うやむや」にという配慮のようなものです。その場の雰囲気で読み取るしかないですが、もし読み取れなければ異文化コミュニケーションと思えばいいわけで、そういう京都のコミュニケーション文化を否定するものではないと思います。

 

世界の各地で民族紛争や宗教戦争が勃発する今は「有耶無耶」の世界といえないだろうか?白か黒か、イエスかノーか、答えはもはや二つに一つではありません。世界は一元論では語れません。正しい答えが「有りや無しや」と問いかけられて「有るけれども無い」とか「有るのでも無いのでもない」とか、そんな禅問答のような地点にたどり着いて、世界が口ごもり状態でイライラしている。この「有耶無耶」の向こうに未来は待っているのでしょうか?

 

ご参考までに・・・。

 

 

 

── 山太 北尾石材  ──────────

住所 京都府京都市左京区田中門前町67
電話番号 075-781-9523
FAX番号 075-781-0510
営業時間 9:00~18:00
定休日 不定休
──────────────────────

TOP