金戒光明寺になぜか会津藩士のお墓がある不思議

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金戒光明寺になぜか会津藩士のお墓がある不思議

石屋のないしょ話

2018/05/31 金戒光明寺になぜか会津藩士のお墓がある不思議

 

洛中の雑踏から少し離れた東山の麓に二つの小さな丘があります。 一つは「吉田山」で、吉田神社などが鎮まる「神楽岡」と言われています。 もう一つは金戒光明寺や真如堂が並び建つ「黒谷」です。

 

黒谷に堂々と建つ金戒光明寺は、通称「黒谷さん」と呼ばれて親しまれていますが、実はこの寺の墓所には会津藩士352名もの墓があるのです。 その理由を知るには、1862(文久2)年の幕末に遡らなくてはなりません。

 

この年、京都に内裏を守護するための京都守護職が置かれ、会津藩主・松平容保が就任してこの黒谷の金戒光明寺に本陣を置きました。

以後は、会津藩士1000名がこの寺に常駐し、1年おきに交代して京都の守護に当たりました。

会津藩は、14代将軍・徳川家茂から京都守護職を任命されるにあたり、何度も固辞しましたが家訓によって松平容保が拝命しました。 家老たちは京都に向かうことの危険を「薪を背負って火を防ぐようなもの」と言って反対しましたが、容保の意思は固かったのです。 文久2年12月、京都三条大橋に到着した松平容保と会津藩士1000名は、金戒光明寺までの道のりを威風堂々と行軍し、京の町衆もこれを大歓迎したのです。 では、なぜ寺が会津藩の本陣に選ばれたのでしょうか?

 

その理由の1つは、金戒光明寺のつくりです。 この寺は、家康が二条城に所司代を置き、異変が起きたときはすぐに兵力を配備できるようにと、寺が密かに城構えにしていたのです。 小高い丘になっている黒谷は自然の要塞で、一度に大軍が攻め込んでこられないように南には小門しかつくらず、西側には城門をつくりました。 まさに城塞だったのです。 2つめには、境内は約4万坪もあり、1000名の藩士が駐屯できる大小50以上の宿坊があったことです。 そして3つめには、京都御所まで約2キロの近さ、三条大橋の東海道の発着点まで1.5キロという要所であったことです。

 

以来、会津藩士は動乱の幕末京都を取り締まり、1868(慶応4)年の鳥羽伏見の戦いで奮戦しました。 この戦いで敗れた会津藩士352名が命を落とし、この本陣のなかに葬られたのです。 小高い丘の木立の中に眠る352名の墓は、激動の京都の歴史を静かに物語っているのです。

 

ご参考までに・・・。

 

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