石屋のないしょ話 vol.102

「祗園」という地名は、実は全国にたくさんありますが、京都の祗園は日本一の花街で知られ、「祗園」といえば京都の祗園を思い浮かべる方がほとんどでしょう。 今月は、「祗園」についてお話しします。
京都の祗園は八坂神社の門前町として、鴨川から東大路通り、八坂神社までの一帯に栄えました。 八坂神社は江戸時代までは「祗園社」と呼ばれ、「祗園さん」の名で親しまれていたので、この門前町の名も「祗園」という名がついたといわれています。
一八六八(慶応四)年の神仏分離令によって、祗園社と呼ばれていたのが「八坂神社」と改められました。 現在は京都有数の花街で、茶屋・料亭などが軒を並べています。 格子戸の続く家並みは京都の風情を醸し出し、重要伝統的建造物群保存地区に選ばれています。 では、なぜ八坂神社を「祗園社」といったのでしょうか?
八坂神社の創建については、六五六年、高句麗から来た遣い伊利之使主いりしおみが、新羅の牛頭山ごずさんに祀られているスサノオノミコトを京都南部の八坂郷に祀ったのが始まりという説や、八七六(貞観十八)年、僧の円如えんにょが牛頭天王を祀ったのが始まりという説など、いくつかあります。 牛頭天王はインドの祇園精舎の守護神で、文字通り頭が牛の異形の神です。 日本ではスサノオノミコトと同神とされ、仏教・神道・道教・陰陽道などの神格を習合し、やがて強大な神威を誇るようになり、疫病除けの神として多くの信仰を集めました。 つまり、祇園精舎の守護神の牛頭天王は、八坂神社の祭神であるスサノオノミコトのことなので、八坂神社が「祗園社」と呼ばれ、その門前町も「祗園」と呼ばれるようになったのです。 祇園精舎とは、悟りを開いたお釈迦様が説法を行なった場所のことであり、お釈迦様はここに多く留まって弟子たちと共に修行されたのです。 日本一の花街の名は、実はお釈迦様が弟子たちを集めて行なった仏道修行の場であったのです。
石屋のないしょ話でした・・・。