石屋のないしょ話 vol.112

今年も早いもので、もう12月です。 何となく気ぜわしくなりますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか? 京都に観光に来られた方で、京都市の地図を広げた時、「なぜ地図の右側が左京区?」と疑問を持たれた方もおられたかと思います。 今月はなぜ右に左京区・左に右京区なのかについてお話します。
実は、この疑問を解く鍵は平安京の造営に関係しているのです。 古代中国には「天子は南面す」というしきたりがありました。 これは、国の君主である天子は南に向かって政治を執ることとされていました。 長安が首都であったときも、洛陽が首都になったときも、天子がいる宮殿は南に向かって建てられました。 そこで、平安京もそれにならって大内裏を南に向けて建てられたのです。 つまり、天皇のいる御所から南に向かって右側が右京、左側が左京とされました。 天皇は南面して高み御座に座っていたので、左側が東になります。 そのため、地図上では右側にありながら「左京区」、左側にあっても「右京区」と呼ばれるのです。 
この「天子は南面す」というしきたりの名残は、現在の京都にも存在します。 京都御所のもっとも重要な建物である紫宸殿は、南向きに建てられています。 紫宸殿の中央内部には、現在も高御座という御座が置かれ、この高御座を使って明治天皇から大正・昭和天皇の即位礼が行われました。 南向きの紫宸殿の前には白砂を敷き詰めた「南庭」と呼ばれる庭が広がっています。 平安時代の左京は、都の東側で洛中を指していましたが、京都市の行政区としての左京区は、鴨川左岸の洛外地域に変わっています。 現在はその後の市町村合併により、さらに東外縁部の愛宕郡のほうまで含め、寂光院で有名な大原や、鞍馬寺で知られる鞍馬などの山間部までを取り込む大きな地域となりました。 左京区には京都大学・京都府立大学・京都国立近代美術館・京都市美術館など、大学や文化施設も多く、銀閣寺・平安神宮・南禅寺・哲学の道・下鴨神社・修学院離宮など名所史跡は数多くあります。 
いっぽう、右京区は平安時代には農村地帯でしたが、現在は南部が住宅地として発展し、西北部は山間部となっています。 嵐山・嵯峨野・保津峡・高尾など自然に恵まれた名所が広がります。
石屋のないしょ話でした・・・。