石屋のないしょ話 vol.114

古刹・名刹で知られる都市と言えば、京都・奈良・鎌倉ですが、古都の奈良と鎌倉にはあるのに京都にはないものがあります。 皆さんおわかりですか? それは、大仏です。 しかし、実は京都にも大仏はあったのです。 それも、大仏が二体もです。 今月はかつて京都にあった大仏についてお話します。 
まず、一つめは東福寺の大仏です。、 東福寺は九条道家によって創建されました。 道家は、東福寺に奈良の大仏に負けない大きな大仏を建立しようと思い、着工を始め、一二四三(寛元元)年に完成させました。 この年の六月十三日には、北条泰時が造営した鎌倉の大仏の開眼供養が行われています。 奇しくも同じ年に京都と鎌倉に大仏が建立されたのです。 東福寺の大仏は高さ約七メートルで、奈良の大仏は約十五メートル、鎌倉の大仏は約十三・三五メートルですから、東福寺の大仏は少し小ぶりだったようです。 残念なことに東福寺の大仏は一八八一(明治十四)年の火災で焼失してしまいましたが、大仏の左手だけは残り、現在は厨子の中に納められています。 その左手は約二メートルもの高さだそうです。 
二つめの京都の大仏は、東山区にある方広寺の大仏です。 一五八六(天正十四)年、豊臣秀吉が奈良の大仏に負けじと、大仏と大仏殿の造営を始めました。 そして九年後の一五九五(文禄四)年、大仏が完成して大仏殿に納められました。 大仏の高さは十九メートルあったそうなので、奈良の大仏・鎌倉の大仏をはるかに上回る大きさです。 秀吉はこの大仏造営に異常なほどの執念を燃やしたと言われています。 天下を統一し、関白となったその権勢を、大仏建立によって天下に示したかったのでしょう。 しかし、秀吉が躍起になって造営した大仏は、開眼供養もしないうちに、翌年に起きた地震によって倒壊、さらにその二年後の一五九八(慶長三)年、秀吉は大仏開眼供養を待たずにこの世を去ってしまいました。  
その後、秀吉の遺志を継いだ子の秀頼が大仏を再建しましたが、一六○二(慶長七)年に失火によって消失しました。 一六○八年には大仏再建が始まり、徳川家康の尽力もあり一六十二年に完成しました。 しかしその後の地震・落雷・火災によって倒壊と再建を繰り返しましたが、一九七三(昭和四八)年の火災によって消失してからは再建されず、現在は遺構が残されているのみとなっています。
石屋のないしょ話でした・・・。