石屋のないしょ話 vol.117

京都の町は「山紫水明」といわれますが、その由来をご存知ですか? 今月は「山紫水明」についてお話します。 
『大言海』によると、山紫水明は「紫は山の翠色に夕日が映えて紫色に見える意」とあり、山水の景色が美しいことをいいます。 『大辞林』では、「山は紫にかすみ、川は澄み切っていること。 景色の美しいこと」とあります。 京都の町は三方を山が囲み、町中を流れる鴨川は大都市の中を流れる川としては例外的によく澄んでいます。 特に夕日に映える東山を背景にした鴨川の風景は、古くから多くの人々に愛されて、和歌にも詠みこまれ「山紫水明」と表現されました。 
この京都の美しい景色の「山紫水明」を有名にしたのは、儒教者の頼山陽らいさんよう(一七八○〜一八三二)である。 頼山陽は丸太町橋近くの鴨川のほとり(現在の上京区丸太町通り三本木上がる)に居を構え、自分の書斎から鴨川を隔てて東山を望む景色が美しいことから、この書斎を「山紫水明処」と名付けました。 この書斎は現在も鴨川のほとりに、藁葺き屋根もそのままに保存され、頼山陽の子孫が管理しています。 
頼山陽は、幕末の儒教者で広島藩に仕えていましたが、二十一歳の時に脱藩して閉居させられました。 三十二歳の時、京都に出て文人や学者と交わり、名を広めました。 その後、この「山紫水明」で『日本外史』著しましたが、この書が尊皇攘夷に大きな影響を与え、木戸孝允や伊藤博文もこの書を読んで感銘を受けたといわれています。
石屋のないしょ話でした・・・。