石屋のないしょ話 vol.127

日本全国には、様々な「へそ」と呼ばれる場所があります。日本の「へそ」で知られている兵庫県西脇市・全人口の重心となる岐阜県郡上市・北海道の中心は富良野市・・・今月は京都の「へそ」についてお話します。 
京都の「へそ」は、三条通と四条通の間にある六角堂境内にあります。 六角堂は正式名称は頂法寺といい、西国第一八番札所でもあります。 天台宗のお寺で、本堂の形が六角形であることから「六角さん」と呼ばれ親しまれてきました。 このお寺の境内の参道に、直径五○センチほどの平べったい石が安置されています。 本堂の礎石と言われ、この石が置かれている地点が京の都の中心点であり、「へそ石」と言われています。 この石も六角形をしており、真ん中がくぼんでいて、まさしく「へそ」に似ています。
六角堂の創建は古く、興味深い謂れが伝えられ、それは聖徳太子の時代にまで遡ります。 聖徳太子が現在の大阪に四天王寺を造営するため、建築材を求めてこの地を訪れたとき、清らかな池があったので、沐浴しようと持っていた如意輪観音像を池のほとりに立てかけました。 沐浴後、帰ろうとしてこの像を持とうとしましかが、とても重くて持つことができませんでした。 これは、仏がここで人々の救済に努めよと指示しているのだと悟った聖徳太子は、ここに六角形の堂を建立したのです。
もう一つ伝わる謂れがあります。 平安京を造営する際、すでに建っていた六角堂が道路にかかることになりました。 そのため桓武天皇はお堂を壊すのが忍びなく、苦慮していたところ、一晩でお堂が自ら北に少し動いて道路を明け渡したというのです。 確かに、現在の「へそ石」は、本堂の前から少しずれた位置にあります。
境内には六角堂のほか、聖徳太子が沐浴したという池が残されています。 頂法寺の本坊はこの池の端に建てられたため、「池坊」と言い、華道の家元・池坊の発祥の地でもあります。 また、遣隋使として活躍した小野妹子が晩年はこの六角堂に隠居し、聖徳太子の霊を慰めてここに花を供えていたのが華道の始まりとも言われています。 六角堂は、京都の「へそ」であるだけではなく、池坊華道の「へそ地」でもあるのです。 ただし、「へそ石」の地点は京都市内の中心点ですが、京都府全体の「へそ」は南丹市の日吉町だと言われています。 
石屋のないしょ話でした・・・。