石屋のないしょ話 vol.147

竹林の古道、紅葉の寺が情緒あふれる嵯峨野。 四季を通じて訪れる人の心を和ませる名所ですが、この嵯峨野に「化野あだしの」という地名があります。今月は「化野」についてお話しします。
「化」という字は「化す」「化ける」の意で、「生が化して死となる」ことを表しています。 読み方の「あだし」は、「はかない」「むなしい」という意味です。 つまり「化野」には「この世は人が生を受けて死んでゆくはかないもの。 だから再び生まれ化すことや極楽浄土に往生することを願う」という古代人の深い思いが込められているのです。  


平安時代、庶民は貧しかったうえ、天災や飢饉が続いて行き倒れになる人や野垂れ死にする人が多かったのです。 道端や野に捨てられた遺骸はそのまま放置され、疫病を蔓延させました。 華やかな暮らしをしていたのは貴族だけで、平安京には至るところに腐りかけた死体がゴロゴロあったのです。 それでも、平安京には葬送の場が三ヶ所しつらえられていました。 東の鳥辺野、北の蓮台野と西の化野で、化野は風葬の地であったのです。 人々はこの三ヶ所に死体を運んで野ざらしにし、風化にまかせていました。 


八一一(弘仁二)年、嵯峨野を訪れた弘法大師は、野ざらしにされた死体を哀れみ、疫病の発生を防ぐためにも人々に土葬を教え、死体を埋葬して供養のために一千体の石仏を祀ってここに如来寺を創建したと伝えられています。 後に法然が念仏道場にしたので「念仏寺」と改められました。 化野念仏寺には、現在も八○○まる体に及ぶ石仏・石塔群がびっしりと境内を埋め尽くすように立ち並んでいます。 平安時代の名もない行き倒れの遺骸を埋葬して立てた無縁仏郡で、その奇怪な光景は賽の河原を連想させます。
石屋のないしょ話でした・・・。