石屋のないしょ話 vol.155

2000年に行われた没後200年記念の展覧会以降、いまだ人気が衰えることのない伊藤若冲。 今月は、石峰寺にある伊藤若冲のお墓についてお話しします。 伊藤若冲といえば、代表作である『動植綵絵』で綿密な画風を見せたかと思えば、鶏をはじめ様々な動物をユーモラスな筆致で描くなど、その絵は見る者の心を捉えて離しません。 
錦市場に生まれ、青物商を営んでいた若冲が本格的に絵を学び始めたのは30代の頃と言われており、同時期に交流が始まった相国寺の大典禅師から、若冲の号を得たと推測されています。 若冲は相国寺に『釈迦三尊図』と『動植綵絵』(現在は宮内庁所有)を寄進しているほか、自身で寿蔵(生前墓・非公開)を建てています。 大典禅師の残した記録によると、若冲は絵を描くこと以外、俗なるものには全く興味を示さなかったそうです。 
晩年は石峰寺に庵を結び、約10年の歳月をかけて五百羅漢の下絵を製作。 石峰寺の密山和尚の協力も得ながら石像群を完成させ、没後同寺に葬られました。 墓石に刻まれている「斗米菴」とは、米一斗の報酬で絵を描いたことからつけられた別号である。 また、墓石の傍らには筆の形をした筆塚が建てられていますが、これは幕末三筆の一人、貴名海屋が若冲の遺言に従って若冲の生涯を記したものです。 冒頭、「奇ナルカナ若冲居士」と始まり、時に「奇想の画家」と評される若冲の人となりをよく表しています。 現在も石峰寺を訪ねれば、若冲のl眠る裏山に五百羅漢石像を見ることができます。 柔和な表情の石像たちは、若冲のお墓を優しく見守っているようでもあります。
石屋のないしょ話でした・・・。