石屋のないしょ話 vol.166

今月は名古屋名物“ういろう”と京都の外郎町についてお話しします。

“ういろう”は、もともと和菓子ではなく、薬でした。 室町時代、中国元朝で礼部員外郎という官職についていた医師・陳宗敬が元朝滅亡後、日本に帰化して博多に移り住み、中国伝来の透頂香という薬を作っていました。 

三代将軍足利義満が、宗敬の子・大年宗奇を京都に招いてその薬を売り出したところ、咳や痰の妙薬としてたちまち都の評判になりました。 陳家の官職名から「外郎の透頂香」と呼ばれ、やがて外郎の名のほうが知れ渡りました。 この宗奇の薬舗「虎屋」が京都市中京区西洞院通四条上がるにあったことから、現在の蟷螂山町内に“外郎町”という町名が生まれたそうです。

陳家の子孫は代々外郎と称し、医者・薬舗として活躍。 のちに北条氏綱の御用商人となって小田原に出向き「外郎の五丁邸宅」と呼ばれるほど広大な店屋敷を構えて家伝・外郎薬を独占販売しました。 そして、ここで苦い薬のお口直しにと、甘い餅を作って売り出したのが外郎餅だという説がありますが、黒砂糖を用いた外郎餅が黒い丸薬の外郎薬によく似ていたからその名がついたという説もあります。 これが、小田原名物“ういろう”のはじまりです。

江戸時代の小田原は、東海道五十三次の重要な宿場町です。 外郎薬は旅の常備薬として、またお土産として名物となり、外郎の店の人気ぶりは東海道名所図会にも描かれています。 
石屋のないしょ話でした・・・。