石屋のないしょ話 vol.172

平安神宮の北側に聖護院門跡があります。 かつてこのあたりは聖護院の森といい、鴨川にかけて深い森となっていました。 
今月は、聖護院の境内にある塔頭 積善院に祀られている「人喰い地蔵」についてお話します。

名前からして恐ろしい地蔵ですが、この地蔵はなんと、恨みが強すぎて大魔王になったと伝えられている崇徳上皇なのです。 怨念を抱いたまま、配流先で憤死した上皇だからこそ、人喰い地蔵になったのでしょうか?

一一八三(寿永二)年、木曽義仲は後白河法皇の御所を襲撃し、後白河法皇は幽閉されました。 このとき、人々は崇徳上皇の祟りだと噂しあいました。 崇徳上皇の怨霊をもっとも恐れたのが後白河法皇でした。 翌一一八四年、木曽義仲が源範頼、義経軍に討たれたため、後白河法皇は九死に一生を得て解放されました。 法皇は、保元の乱の戦場となった春日河原に崇徳上皇と左大臣藤原頼長の霊を祀り、粟田宮という社を造営しました。 この粟田宮に安置したのが、崇徳上皇の化身である人喰い地蔵でした。 後に積善院に遷されました。

「人喰い」の名前は「すとくいん」→「すとくい」→「ひとくい」に転訛したものだという説があります。 さらにもうひとつ、崇徳上皇の祟りで洛中は飢饉や天災、疫病が蔓延し、多くの人が犠牲になったので、崇徳上皇は人を喰うほど恐ろしいからだという説もあります。

石屋のないしょ話でした・・・。