石屋のないしょ話 vol.174

京都の市内を南北に貫く「千本通」です。 この通りは、平安京の中央を走っていた幹線大路である朱雀大路とほぼ同じだと言われています。 南は羅生門から始まり、北は船岡山の正面まで結ばれていた南北路が朱雀大路でした。 いったい千本通とは、この通りに何が千本あったのでしょうか? 今月は「千本通」についてお話します。

一説によると、船岡山は高さ110m余の小高い丘で、平安時代の初め頃は景勝の地でしたが、後には戦で破れた者の死刑場となりました。 さらに船岡山の西の麓は、蓮台野があり、人々の埋葬の地でもありました。

そのため、平安時代の千本通は、夜ごと死体が運ばれていく不気味な道でした。 道の両側には数え切れないほどの死者を弔う木札である卒塔婆が建てられていたそうです。 それゆえ、千本もの卒塔婆が建てられた通りとして「千本通」と名付けられました。

死者を運んだ道らしく、この「千本通」の筋には死者にゆかりの地名が多くあります。
船岡山の西側の地域は「紫野」という、いかにも京都らしい風雅な地名ですが、実は風雅な意味はありません。 この「紫」とは、死者が流す血の色のことなのです。

つまり、紫野は「血で染まった野原」という意味で、千本通を運ぶ死体から流れる血がこの野原を染めていたのです。 京都の地名は、雅な一面とは逆に恐ろしい一面を持っているようです。

石屋のないしょ話でした・・・。