石屋のないしょ話 vol.40

京都の年の瀬は、南座の顔見世とともにやってきます。 今年は中村雁治郎改め坂田藤十郎襲名披露もあり、役者名を独特の字体で書かれた「まねき」が南座に上れば、京都の人は年末を実感します。 今月は、吉例顔見世興行についてお話します。
南座といえば顔見世、顔見世といえば南座と、格別の歌舞伎ファンでなくとも年中行事となっているのが京都の顔見世です。 そもそも顔見世とは、向こう一年の新しい役者の顔ぶれを披露するための興行でした。 歌舞伎役者は元禄の時代(一六八八〜一七〇三)頃までに、各座と役者が一年ごとに契約を交わす制度となり、その契約更改が年の瀬を前に行われました。 毎年、人々は「今年はどんな千両役者が誕生するのだろう」「どんな大スターが南座に来るのだろう」と噂しながら吉例顔見世の幕が開くのを待ったそうです。 つまり歌舞伎の世界では、顔見世が一年の最初の公演であり、新しい年の幕開けなのです。 
ですから、顔見世は京都に限ったことではなく、歌舞伎の世界の慣わしだったのです。 しかし、役者と劇場の一年契約制度が寛保年間(一七四一〜一七四三)には崩れたようで、その後も顔見世興行は続いていたものの、江戸では幕末期に姿を消してしまいました。 でも、京都の南座だけは顔見世の伝統が脈々と守られ、それが今日あるというわけなのです。(現在は各地で再び顔見世の名が復活しています)
こういう歴史を知れば、「まねき」に名題以上の役者名が上がる意味や、正面屋根上の櫓と天に伸びる二本の梵天、それに劇場前を飾る大提灯も顔見世において新調され、それから一年を通じて使用される意味がわかります。 南座は顔見世において、一足早いお正月を迎えているのです。 とくに神が降りるという梵天は、古法にのっとって精進潔斎をし、昔ながらの美濃紙でつくられています。 他の劇場ではプラスチック製の梵天がまかり通る中で、南座だけの伝統です。 そして「まねき」もまた、南座だけのものです。 「まねき」書きは、一人の職人の手によって五日間で約五十枚の役者名が書き上げられます。 その文字は独特の勘亭流で、観客が隙間なく入りますようにとの願いを込めて、内へ内へと巻き込むような字体です。 字を書く墨は、酒で薄めて使います。 長さ一・八メートル、幅三十二センチの檜の大板に書く時間は、一枚約二十分だそうです。 字の勢いが命なので、筆の動きはかなり早いのですが、書き損じは許されないので、当世ただ一人の「まねき」書きなのだそうです。
石屋のないしょ話でした・・・。