石屋のないしょ話 vol.46

京都では、いたるところにお札が貼ってあります。 お札によるご利益や災難除けの意味があるのはもちろんですが、ちょっと意味合いの違う理由もあるのです。 今月は、お札についてお話します。
京都では、台所はもちろんのこと、仕事場や機械や道具にも一枚のお札を貼ることによって、その場所を、そのものを神聖化し、決して粗末に扱わないようにしているのです。 お札の使い道として、これほどすばらしいアイデアはないと思いますし、これもまた京都の生活の知恵なのです。 お札は機械類を扱われる仕事場で特に多く見ることができます。 織物の機械をはじめ、近代的な外国製の機械などにもお札が貼ってあります。
祇園祭の粽に添えられているお札をご覧になったことがあるでしょうか? そのお札には「蘇民将来之子孫也」と記されています。 それにはこんな謂れがあります。 昔、インドに牛の頭のように角のはえた王様がいました。 名前は牛頭天王といい、大変恐ろしい人物でしたが、ある時お妃を探すため旅に出ました。 ある日、巨旦将来という男に出会いましたが、この男は裕福なのに大変なケチで、牛頭天王をもてなすどころか怒らせてしまいました。 しかし次の日、蘇民将来という男の家に一夜の宿を頼んだところ、その男は大変貧しい暮らしをしているにもかかわらず、真心を込めて牛頭天王をもてなしたのです。 その姿に牛頭天王は大変感動されました。 そしてそのおかげでお妃も見つけることができました。 やがて牛頭天王は再び蘇民将来の家を訪れ、「心のこもったもてなしができるということは、人間として最も大切なことである。 以後は門口に蘇民将来と書いて吊るしておけば、子々孫々まで悪いことは起こらぬ」と言って立ち去りました。  
この物語がなぜ京都に伝わったかはわかりませんが、祇園祭のこのお札を門口に吊るすということは、悪疫や災難から逃れるためだけではなく、人に対しての最高のもてなしであると共に、その人に幸福が訪れるようにと祈っているのです。 京都は、もてなす文化が非常に発達したところだと言われています。 それは、蘇民将来のお札が吊るされているからかもしれません。
石屋のないしょ話でした・・・。