石屋のないしょ話 vol.63

11月になると、かわいい晴れ着姿で七五三参りに向かう子供さん達を多く見かけます。 今月は、七五三についてお話します。
七五三とは、男の子が三歳と五歳のとき、女の子は三歳と七歳のとき、11月15日に神社に参拝して、我が子の無事な成長を感謝し祝う行事です。 地方によっては七・五・三歳のとき男女を問わずに祝います。 幼児の成長に応じて行われる祝いの行事としては、鎌倉時代に三歳の男子・女子の髪置に儀式がありました。 幼児は生まれてから頭髪を伸ばさずに剃っていたのを、三歳になると伸ばしはじめました。 髪置親を頼んで垂らした髪に米の粉を塗って白髪に見立て、女子は綿帽子をかぶりました。 長寿と幸せな一生を願ったものと見られています。 この髪置が江戸時代に11月15日におこなわれるようになりました。  
さらにさかのぼれば、平安時代には三歳あるいは五歳の男子・女子に初めて袴を着せる袴着の儀式がありましたが、江戸時代には五歳の男子に限って碁盤の上で裃を着せる形になりました。 勝負の舞台となる碁盤の上で祝ったのは、強い男子になることを願ったからです。 室町時代からは男子・女子が九歳になったとき帯解の祝いを行いました。 のちに男子は五歳から九歳の間、女子は七歳のときに11月吉日を選んで行われましたが、やがて15日に定着しました。 これまでつけていた子供の付け紐を解きはずして、初めて帯をしめるお祝いです。 この日は盛装して氏神さまにお参りしました。 このように、個々の年祝いであった行事が「七五三」として11月15日の行事にまとまるのは、江戸末期から明治時代のようで、東京を中心とする関東地域においてです。 同時に子の髪や袴・帯を調える家庭内の行事から離れて、晴れ着を着て盛装し、神社に参詣する行事となりました。 七五三に付き物の千歳飴は、元禄・宝永ごろ江戸浅草の飴売り七兵衛が初め「千年飴」、ついで「寿命糖」「千歳飴」の名で江戸市中を売り歩いていたのが始まりといわれています。 一般には、ただ「長袋」とよばれて変哲のないものだったが、紙袋に「寿」の文字や鶴亀・松竹梅を色鮮やかに描いたものに変えたことから、細く長く長寿を願う七五三の祝い物となりました。 袋の中には年の数だけの紅白の棒飴を収め、神社から帰って親しい人に配ります。
それはともかく、このように色々な意味が込められた左と右、何が正しくて何が誤りだと結論づけることはできませんが、こんなところにも何か京都的なものを感じますし、私達がふだん何気なく見ているものの中にも、京都は存在しているのです。
石屋のないしょ話でした・・・。