石屋のないしょ話 vol.73

京都に住んでおられる方なら、「おぅーほぅー」と言いながらまわられる修行僧の声を聞いたことがあると思います。 今月は「生活の中にあるお布施」についてお話します。
一般的に、京都人は自主的でない押し付けの寄付というものが嫌いなようです。 災害の寄付はおろか、自分のお寺や神社から集めにこられるのもあまり好きでなく、隣りが五百円したからうちも五百円にしておこうというくらいに思っている方が多いようです(すべての方がそうだとは言いませんが・・・)。 金額を決められて強要されると、特に抵抗があります。 ところが、生活の中には“お布施”の心が昔からちゃんとあるのです。 ・・・というのは、京都にはお寺がたくさんあり、禅寺の雲水さん(修行僧)が「おぅーほぅー」と言ってまわって来られるのを子供もお金を握りしめて待ち、お布施をするのです。 
私たちの耳には「おぅーほぅー」と聞こえますが、本当は「法ー法ー」と言われ、仏様の法(教え)を説き歩いておられるのです。 雲水さんのこの声が遠くから聞こえてくれば、「おぅーさん来はった」と家の人に知らせてお金をもらい、子供が門口でお布施をする光景は今日でもよく見られます。 お布施をしますと、雲水さんは深々とお辞儀をされ拝んでくださるのですが、これはその家に災難が起こらないようにといったことではなく、「これからも一所懸命、修行に励みます」という意味で拝まれるのです。   

衆生無辺誓願度 煩悩無尽誓願断

法門無量誓願学 佛道無上誓願成

このお布施、昔はお米や食物だったのですが、今ではほとんどがお金になったそうです。 京都人はこういうことを率先して行なってきたのです。 布施の心とは、決して自分の利益のためにするものではなく、お仏壇を拝んだり、お供えをする行動と同じ佛事作法の一つなのです。 佛様を、佛様の教えを、お坊様を、ご先祖様を大切に思う心が、京都人の生活の中にしっかりと根付いているのです。 
石屋のないしょ話でした・・・。