石屋のないしょ話 vol.99

皆さんは「龍安寺の石庭」をご覧になったことはありますか? 今月は、この石庭にある十五の石についてお話します。 
ご存知の方も多いでしょうが、京都市の北西・衣笠山の麓に建つ龍安寺は、白砂の石庭が有名です。 室町幕府の管領で応仁の乱の東軍総大将であった細川勝元が一四五○(宝徳二)年に創建した禅寺です。 この周辺は金閣寺・等持院・仁和寺が立ち並び、年中観光客でにぎわっていますが、とくに龍安寺の石庭は、その造形の意味・作庭者・作庭年も定かでなく、謎に満ちていることから、多くの人を魅了しています。
境内の北側に方丈(本堂)があり、方丈南側の土塀に囲まれた一角に枯山水の石庭があります。 庭といっても幅二二メートル・奥行き一○メートルほどのさほど広くない長方形の敷地に白砂を敷き詰め、十五個の石が一見無造作に置かれています。 砂と石の他には何もありません。 だが、この何もない空間が、日本人独特の研ぎ澄まされた感性を表わし、宇宙を表現しているといわれています。
日本庭園といえば池の存在が不可欠ですが、ここにはありません。 代わりに、白砂につけられた波紋の模様があり、これで水の流れを表現しているといわれています。 また、中国の庭園様式を模して作られ、中国の山海を表わしているともいわれています。 白砂は大海を、十五の石は島や山を表わすというのです。
ほかにも、点在する石は北斗七星を表わし、白砂は宇宙そのものを表現しているという説などもありますが、そもそも作者が不明であり、造形の意図するところは謎のままなのです。 さらに不思議なのが、十五個の石の配置です。 十五個の石は、庭をどの位置から眺めても必ず一個は他の石に隠れて見えなくなるように配置されているのです。 つまり、どこから眺めても、一度に十五個すべての石を見ることはできないのです。 なぜ、作者はこのような手の込んだ趣向を凝らしたのでしょうか? 古代中国の思想では、十五は十五夜(満月)に結びつき、完全を意味します。 また「物事は完成した時点から崩壊がはじまる」という思想があり、完全数の十五に一つ足りない十四個の石が見えるように仕掛けを作ったのではないかという説もあります。 これらの謎を抱えた石庭を前にしたら、静かに座って眺めてください。 そして作者の意図を読み取ってみてはいかがでしょうか?
石屋のないしょ話でした・・・。