仏事Q&A
其の四十


Q. 七福神は仏教の神様なのですか?

A. お正月の縁起ものとして福を授けて下さるおめでたづくしの七福神は、もともと一人ずつ福の神として信仰されていました。 しかし室町時代の中頃から、竹林の七賢人とか、「仁王経」や「薬師経」に出てくる「七難即滅、七福即生」というお経文になぞらえて、七人の神様を組み合わせたのです。 今のような七福神の顔ぶれが決まったのは天海僧正が徳川家康に七福神の徳を、夷は清兼、大黒は裕福、毘沙門は威光、弁財天は愛嬌、布袋は大量、福禄寿は人望、寿老人は寿命を与えるものと説いてから後のことだと言われています。
夷さまの「えびす」は、海の向こうから来た異民族をさす「えみし」という言葉からきていますが、海の彼方の常世の国(理想の国)からくる神霊で、漁民の間でひ広く信仰されていたものが、海運守護の神様から商売繁盛の神様として崇められたのです。
大黒さまは、インドではその名のとおり闇黒の神様でしたが、仏教に取り入れられてからは鬼を退治する戦闘の神様として怒った顔をしていました。 伝教大師が中国から初めて日本に大黒天の信仰を伝えたのですが、その時は飲食を豊かにする台所の神様としておまつりしています。 大黒頭巾を被り、右手に打出の小槌、左に袋を背負って米俵の上に立っていますが、この横に膨れた頭巾は「上を見たらきりがない、上を見るな」の戒めで、思うとおりに宝が出る小槌は「怠け心の頭を打つ斧」なのです。 
毘沙門さまもインドの神様で、仏様がお説法されている道場を護っており、いつも教えを聞いているところから多聞天という名もあります。 北方の守護を引き受けている神様で、財宝や福徳をまもり、授ける神様として崇められています。
弁才天はインドの五河地方の神様で、「恵み深きもの」という異名があるように、長寿・弁舌・戦勝を授けるものとされ、また妙音天ともいうように技芸・音楽の神様として崇められていました。 はじめは弓・矢・刀・斧などの武器を持っていたのですが、密教の曼荼羅図のなって、琵琶を持つ姿に描かれるようになりました。 
布袋さまは、中国の唐時代の末にいた禅僧契比のことです。 大きなお腹で日用品を入れた袋と杖を持って托鉢して歩き、人の吉凶や晴雨を占っていたので、人々は布袋和尚と呼んで弥勒菩薩の化身と崇めていました。 弥勒菩薩はお釈迦様が亡くなられてのち、五十六億七千万年ののちに仏となってこの世に現れる方で、その時、弥勒仏の浄土に救っていただこうという信仰が盛んになっていたので、布袋さまのふくよかな円満の相とあいまって七福神の一人に数えられたのです。
福禄寿と寿老人は同一人物で、中国の道教の南極星の化身です。 寿老人のかわりに吉祥天が入っていることもありますが、吉祥天もやはりインドの神話に出てくる神様で、父は徳叉迦・母は鬼子母神で、毘沙門さまの妃となっています。 お釈迦様と一緒に過去世で修行し、人々を救うために天女となってこの世に現れたと伝えられています。 またこの吉祥天は功徳天と呼ばれて、貧しさや悪いことを無くして富や財宝が得られると崇められています。
このように七福神のうち、夷さまと福禄寿の他はみな仏教に関係している神様なのですが、それは個々の関係であって、七福神そのものは仏教とは直接関係がありません。 初夢の枕の下に七福神の絵を敷いたり七福神詣でをするのも結構ですが、ただお願いしてまわるだけでなく、いただいた幸せを人にも分けてあげるようにしたいものです。 幸せは「仕合わせ」とも書きます。 お互いに仕え合うところに七福神がいらっしゃるのです。
ご参考までに・・・。