仏事Q&A
其の四十五


Q. 亡くなった人を北枕にするのは何故ですか?

A. 「北枕」の風習は、お釈迦様がお亡くなりになられた時のお姿に由来します。 八十歳という高齢をむかえられたお釈迦様は説法の旅を続けておられましたが、その足は自然に生まれ故郷へと向いていました。 かつて多くの日々を過ごされた毘舎離城を離れる時は、幾度となく振り返り「毘舎離城は美しきかな」と去りがたい想いを述べられたと伝えられています。 二度とこの美しい街を見ることができないことを予感されていたのかもしれません。
鍛冶工チュンダの供養した食事を召し上がった後、お釈迦様は激しい腹痛に見舞われ、歩くことさえできない状態にあったようです。 それはチュンダのところからお亡くなりになられたクシナガラまでの約四十キロの間を二十回休まれたと伝えられていることからもうかがえます。
血に染まった衣や身体を川で清められながら歩き続け、沙羅林のところに来たとき、侍者の阿難尊者に命じて沙羅双樹のもとに衣をたたんで敷かせ、その上に頭を北に向け、右脇を下にして横になられ、お弟子たちに最後の教えを説かれて静かに息を引き取られました。 紀元前三八三年二月十五日のことでした。 このとき大地が震動し、天鼓がなり、花の時期でもないのに沙羅の樹に花が咲き、その花びらがお釈迦様の身体をおおいつくしたといわれています。 この沙羅の樹の花が、ちょうど鶴(白サギ)がとまっているように見えたので、「鶴林」という呼び名がつけられ、それからお釈迦様が亡くなられた場所を「鶴林の地」というようになりました。  
お釈迦様が北を枕にして亡くなられたことから、今日でも死者を「北枕」になおすのですが、なぜ「北枕」にしたかという理由は経典には説かれていません。 俗に「頭寒足熱」で頭を涼しいほうに向けたのだという説もあるようですが、そんな単純なことではないように思われます。 インドの人々にとって北に位置するヒマラヤは聖なる地であり、母なる地という信仰があります。 その聖なる地に向かうという心が「頭を北に向けて臥床を敷け」という言葉になって表れたものだと思われます。 また、生まれ故郷のカピラ城はちょうど北の方向にあたりますし、お釈迦様の種族であるシャカ族の祖先は、かつてヒマラヤの山中の湖のほとりに住んでいたという説もありますから、その母なる国に向かっていくという心もあったのかもしれません。
ご参考までに・・・。