仏事Q&A
其の八十


Q. 大乗仏教・小乗仏教とは、何ですか

A. 約二千五百年前にインドにお生まれになったお釈迦様が、悟りをひらかれ、その教えが現在まで伝えられてきたのが仏教です。 お釈迦様は八十一歳でお亡くなり(入滅)になるまで、色々な所で大勢の人々に教えを説かれました。 その教えを受けて、お弟子が次々に伝え、それがまとめられたのがお経です。 一口に八万四千のお経があるといわれていますが、これは直接お釈迦様の口から説かれたもの(小乗経典)ばかりでなく、お釈迦様の教えに従って、その教えをより深く説き明かしていってつくられたお経や、その注釈書など(大乗経典)がたくさん含まれています。 ですから、お釈迦様直接のご説法を伝えたものではありませんが、お釈迦様のお心を誤りなく伝えているということから、お釈迦様のご説法と同じように受け継がれてきているのです。 お経の始めは「如是我聞ーこのように私は聞きました」という言葉で始まっているのはこのためです。
お釈迦様が入滅されてから、しばらくしてお釈迦様の教えを文字通り忠実に守ろうとした人々と、説かれた教えの心を生かしていこうとする人々に分かれていきました。 前の人々のことを部派仏教あるいは小乗仏教とよび、お釈迦様の教えの心を中心にしていこうとする人々の仏教を大乗仏教とよんでいます。
大乗・小乗の乗というのは、「乗り物」という意味です。 私達の迷っているこの岸から、悟りの彼岸に渡してくれる教えを、大きな乗り物に例えて「乗」というのですが、大乗は大きな乗り物・優れた乗り物、小乗は小さな・劣った乗り物という意味になります。 大乗に対して小乗というのは、大乗の人が小乗のことを軽蔑して言っているので、現在では、小乗という言葉を使わずに、部派仏教あるいは長老派仏教・南方仏教などとよんでいます。 大乗というゆえんは、人々はみな迷っている存在ではあるが、しかし、必ず仏になる種子を持っており、そして自分よりもまず他人の幸せを願って、共に仏様の教えに従っていこうとする菩薩の道を説くところから、「大きな・深い・より優れた教え」と名づけられたのです。 これに対して、小乗では、仏様はお釈迦様だけで、他の者は声聞とか、阿羅漢という位にしかなれないとする考え方です。 
小乗仏教では、綺麗に咲いている花を見て美しいと思うのは迷いであると説くのに対して、大乗仏教は美しい花を見て美しいと感じるのは迷いではない。 しかし、その美しさに心をうばわれ、とらわれてはいけないと説くのです。 このように、小乗仏教は、人間の欲望などは迷いのもととして厳しく自分を律していくのに対して、大乗仏教は、物事にとらわれない、おおらかな心と、まず他人のことを考えようという、目を外に向けての立場をとります。 現在では、セイロン・ビルマ・タイなど東南アジアの仏教国はだいたいこの小乗仏教系で、中国・日本などは、大乗仏教の教えを奉じています。 大乗と威張っていても、自分を律することを忘れた行のない仏教では困りますし、個人が精進努力している東南アジアの人々を小乗といって蔑視するのもよくないことです。
ご参考までに・・・。