昔の京都は上京と下京

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昔の京都は上京と下京

石屋のないしょ話

2020/11/30 昔の京都は上京と下京

 

 

京都では「北の方」を「上(カミ)の方」、「南の方」を「下(シモ)の方」と、方角を「上」「下」で表現します。

上ル・下ル(あがる・さがる)を旨とする京都なので、「上」とか「下」という言葉をよく使います。もしかしたら今の日本で老いも若きも一緒になって「カミ」「シモ」などという言葉を日常語として使いこなしているのは京都だけではないでしょうか?

 

しかし「上・下」は、単に方角を表すだけではありません。

京の町には「上京・下京」という独特の地域的概念があって、おそらく皆が暗黙の了解のもと、「上京・下京」をきわめて正確に使い分けています。京都市の区は現在十一区あります。それでも市民たちは今なお「上京・下京」的世界に生きています。

 

では、「上京・下京」の境界線はどこにあるのでしょうか?

これは、現在の二条通が堺となります。平安京はもともと「左京・右京」の区画でしたが、右京が衰退し左京が中心になるにつれ、京のまちの形はしだいに南北に長いものとなっていきました。これを二分して御所のあるほうを「上」、南の方を「下」とすることは、そのころすでに始まっていたようです。

 

そして次のきっかけは、室町幕府の三代将軍・足利義満が烏丸と室町の間、今出川と上立売の間に「花の御所」を開いたことです。花の御所の周辺に公家・武家が集まるようになり、それを対象とした御用商人・有職職人などが移り住み、御所の北にあたる上(かみ)の地域が広がっていきました。

これに対して下京は、商家・職人のまちといった色彩を帯び、町衆の強い結束力を育てていきました。このころから「上・下」の対比が広く用いられるようになり、やがて「上京・下京」の呼び方がおびただしく登場するようになります。

 

十六世紀、上京には百二十町、下京には六十六町の町内があったそうです。そして、それぞれの公会堂の役目をしたのが、上京では一条革堂(今は中京区)、下京では六角堂(今は中京区)でした。これらのお堂では、最高の意志決定機関である合議機関の会議も開かれました。

たとえば下京の六角堂では、町衆の手で鐘が寄進され、兵乱や一揆、天災などがあれば早鐘をついて町中に急を知らせたり、祇園祭の山鉾巡行のくじ取りなども行なわれました。

 

この「上京・下京」は、明治維新後も変わらず、大正から昭和初年まで長らく続くことになります。中京・左京・東山区が生まれて五区になったのは昭和四年。ついで六年に右京・伏見区が誕生。上京・下京より北・南区が分かれたのは昭和三十年、山科・西京区ができて現在の十一区になったのは昭和五十一年でした。

 

ご参考までに・・・。

 

 

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