石屋のないしょ話 vol.54

「雪月花」は、日本の美しいものの代表と言われてきました。 そして、京都人が殊更この雪や月や花を好むのには深い理由があるのです。 今月は「雪月花」についてお話します。 雪は積もり、月は満月となり、花は咲き誇るように、それぞれそのものの最盛といわれる時がありますが、雪は陽に、月は地球の陰に、花は風によって、その姿を無くしてしまいます。 雪は解け、月は欠け、花は散ってしまうのです。 しかし、やがて季節が巡ることで、再びその美しい姿が必ずよみがえります。 京都人は何度も何度も都を荒らされてきましたが、その度毎に必ず復興してきたその京都の姿と、この雪や月や花を重ね合わせているのです。 雪・月・花に“見”という一文字を付け加えれば、それぞれ雪見・月見・花見となり、それは平安の時代から宮中において催された宴であり、儀式なのです。 これらを愛でて詠まれた歌が、現在も数多く残っています。 
雪・・・雪の白さは、混じりけのない純粋で清らかな例えとして賞賛され、またその白さから白髪を連想し、めでたきものと考えられてきました。 それに雪は“五穀の精”とも言われ、雪の多い年は豊作の前兆とも、また五穀(米・麦・粟・豆・黍)を雪汁にひたせば虫が食わないとも言われてきたのです。 雪の都、それはまさに絵にも描き表せないほど美しいものです。 
月・・・月は古来より神仏としてあがめられ、人々の月への思いは強く、月を中心として世の全てのものが動いていると信じられていました。 そんなところから、現代でも使用されている暦が生まれたのです。 また“月の都”という言葉があり、これは都の美しいさまを例えて言ったものです。 
花・・・花ほど人々の生活の中に密接に関わっているものも珍しく、慶びごとにも悲しみごとにも必ず登場します。 そして、物事を花に例えることが大変多くみられます。 “花の都”という言葉があるように、まさに京都は花そのものでもあるのです。 
この雪月花、これらは全て美しくはかないものばかりですが、またいつの日にか、必ずやよみがえるという再生象徴のものでもあるのです。 京都人は、一見弱々しく、はかなく見えるかもしれませんが、内に秘めた凛とした再生への思いを、いつも持ち続けているのです。
石屋のないしょ話でした・・・。